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浜田雅功、16年ぶりのドラマで役所広司の宿敵に ダウンタウンを一人で背負った2年半

Penelope H. Fritz
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浜田雅功
浜田雅功
Photo via The Movie Database (TMDB)
生年1963年5月11日
日本大阪府大阪市浪速区
職業お笑いタレント、司会者、俳優
代表作Pokémon the Movie 2000

工藤官九郎は、制作準備の期間中ずっと、浜田雅功が本当に現場に来ることはないのではないかと半信半疑だった。浜田が「サウナ検事」に扮し、工藤が「衝撃的」と評した髪型をした撮影用写真を見て、ようやく出演を信じたという。さらに驚いたのは、撮影後にモニターを見たときだった。役所広司のために工藤が脚本を書いたNetflixコメディー『俺のこと、なんか言ってた?』で、浜田は三武を演じる。成功を収めた人気スターで、役所演じる落ち目の舞台俳優を苛立たせる役どころだ。工藤によると、浜田は世間のイメージとは裏腹に、「とても真摯で誠実な演技」を見せたという。

問われているのは、まさにそのイメージだ。浜田は40年にわたりダウンタウンのツッコミ役を務めてきた。松本人志の突拍子もないボケを現実に引き戻す役割で、ときには後頭部に平手打ちを食らわせる。松本が「天才」で、浜田は「手」だった。そして浜田には、役者としての決まりがある。出演作では、名前の最初の字に旧字体を使った登録表記を用いるのだ。役がうまくいかなければ責任は自分ひとりが負い、コンビに傷をつけないためだ。松本がテレビ番組への出演をやめてからの2年半、浜田は片方だけが表舞台に立つコンビを守り続けてきた。

浜田は1963年5月11日、大阪市浪速区に生まれ、兵庫県尼崎市で育った。父親は家の塗装職人で、万博のソ連館の塗装を手がけた。息子の名前は、南海ホークスのスター選手、広瀬叔功にちなんで付けられた。浜田と松本は中学2年のときに友人になった。問題を起こした末、浜田は厳格な全寮制高校に入れられ、プロの競艇選手になるための面接にも落ちた。その後、ほとんど偶然に、吉本の新しいお笑い養成所NSCのチラシを手にする。松本を説得して一緒に入学し、1982年に大阪校の1期生となった。

当時のお笑いブームがテンポの速さを求めるなか、2人の漫才はゆったりしていた。ベテランの横山やすしは、彼らの芸を「街のチンピラの世間話」と切り捨てたが、関西の反応は違った。午後の番組『4時ですよーだ』で1987年から地元のスターとなり、翌年には『夢で逢えたら』で東京に進出。1989年には『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』が始まり、現在も日本テレビで続いている。1994年から18年間、浜田は『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』でJポップ界の大物たちに切り込み、ゲストのひとりだった小室哲哉は、H Jungle with tのプロデュースを手がけた。1995年のシングル『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』は200万枚以上を売り上げた。2004年には、松本が作詞し槇原敬之が作曲した『チキンライス』を歌った。

Netflixが今回「復帰」と位置づける浜田の俳優業は、実際に大きな実績を残してきた。1990年代にはゴールデンタイムのドラマで主演を務め、木村拓哉と共演した『人生は上々だ』、坂本龍馬役を演じた『竜馬におまかせ!』に出演。2001年にはサラリーマンコメディー『明日があるさ』に主演し、翌年には映画化された。また、4作にわたってシュレックの日本語吹き替えを担当した。やがて司会業が中心となっていく。『プレバト!!』『ジャンクSPORTS』、ラジオとテレビのシリーズ『ごぶごぶ』、そして正月恒例の格付け番組『芸能人格付けチェック』で、浜田は驚くほど手際のいい司会者として知られるようになった。多くのスタジオ番組が放送時間の倍にあたる収録を行うなか、『ダウンタウンDX』をおよそ70分の収録で終えることでも有名だった。

その手際のよさの陰には、浜田が否定したことのない、少々気まずい現実もある。松本をお笑いの世界に誘った本人は、相方が審査員を務める漫才コンテスト「M-1」を見ないと言い、松本から番組内でからかわれてきた。浜田のお笑いは理論ではなく反射だ。平手打ちや後輩芸人への荒っぽい扱い、先輩スターへの暴言が持ち味で、後になってカメラの外で謝ることもある。日本のテレビ界では近年、まさにそうした笑いをめぐる規制が厳しくなってきた。2026年6月、浜田はラジオのリスナーに、バラエティー番組は面白くなくなったと語り、業界に「昔に戻ろう」と呼びかけた。懐古の思いは本物だが、同時に浜田の主張の弱点でもある。相方がまったく別種のスキャンダルをめぐり、テレビ局から姿を消したままの時期に、そう語ったのだから。

そのスキャンダルが、浜田のここ3年の状況を左右してきた。2024年1月、週刊誌「Shūkan Bunshun」が私的な集まりでの性的不適切行為を報じた後、松本は活動を休止した。出版社を名誉毀損で訴えたものの、同年中に訴訟を取り下げた。浜田は番組に出続け、ほとんど語らなかった。2024年8月には、健康なうちに引退したいと思っていると明かす一方、相方のために今は踏ん張らなければならないと話した。2025年3月、吉本興業は、体調不良が数カ月続いたことを受け、医師の助言に従って活動を休止すると発表。5月2日、手書きのメモで「よし、行こう」といった言葉を記して復帰した。『ダウンタウンDX』は約32年の放送に幕を下ろし、2025年6月に終了。読売テレビの番組『浜ちゃんが!』も同年9月に続いた。

松本は2025年11月1日、吉本がダウンタウンを軸に立ち上げたサブスクリプションサービス「DOWNTOWN+」を通じて復帰した。浜田は同サービスで単独の仕事を続けており、2026年6月には月1回のカラオケ番組『浜田ウタ功』が始まった。2026年半ばの時点で、2人がそろって出演する番組はまだ配信されていない。浜田初の個展は2025年10月から2026年1月まで開催された。また2026年5月には、テレビ朝日で26年ぶりとなる冠番組がスタート。古田敦也や宮里藍らアスリートが、人生の浮き沈みを語るシリーズだ。

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2026年10月22日に世界配信されたNetflixシリーズは、浜田にとって2010年以来のドラマ出演となる。記者会見で金子文紀監督は、浜田がスタッフに丁寧な日本語で話しかけていたと明かした。共演する山本浩司も、浜田が待ち時間を黙って過ごす姿を見たことがなかったという。浜田と対峙するシーンを演じた役所広司は、もっと恐ろしい人物を想像していたと語った。

私生活では、浜田は1989年から女優の小川菜摘と結婚している。長男はロックバンドOKAMOTO’Sのベーシスト、ハマ・オカモト。2012年には父親のシングル『ラブレター』に「someone’s son」名義で参加した。

次に控えているのは、初のソロバンドコンサートだ。DOWNTOWN+の1周年企画として10月17日に発表されたが、開催日はまだ決まっていない。健康なうちに引退したいと語る芸人は、新たな舞台を次々と増やしている。浜田がダウンタウンを守り続けているのか、それともついに自分自身の何かを築き始めたのか。その問いは、まだ答えが出ていない。

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