映画

Baz Luhrmann、未公開映像59時間からエルヴィス・プレスリーのステージを丸ごと甦らせる

Liv Altman

Baz Luhrmannは、新たな伝記映画よりも奇妙なことをやってのけた。アーカイブの奥へ分け入り、エルヴィス・プレスリーを一こまずつステージへ立て直したのだ。「EPiC / エピック エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート」はドラマでもヒット曲集でもない。キング本人の撮影されたパフォーマンスを一つの連続したショーに編み上げ、IMAXの規模で映し出す長編コンサート・ドキュメンタリーである。観客とその人物の間に、俳優もナレーターも置かない。

数字こそがこの作品の出発点だ。Luhrmannとチームは2年をアーカイブに費やし、2,300点を超える素材を精査し、めったに表に出なかった約59時間の映像から70曲以上の構成を組み上げた。最大級のスクリーン向けに修復・色調整された本作は、一つの約束に賭ける。エルヴィス・プレスリーがかつてないほど自ら歌い、自らの物語を語る、という約束だ。その声、そのバンド、その舞台づくりが語り手を務める。

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この趣向は魅力であり賭けでもある。「EPiC」は外側からプレスリーを説明する代わりに、パフォーマンスそのものに語らせる。彼のツアー・サウンドを形づくった奏者たちに支えられている。TCBバンド——ギターのJames Burton、ベースのJerry Scheff、ピアノのGlen D. Hardin、リズムギターのJohn Wilkinson——が映像の随所に現れ、プレスリーの傍を離れなかったコーラス兼ステージ補佐のCharlie Hodgeが加わる。その規模で並べて見せられると、タブロイドのエルヴィスではなく、ステージ上のエルヴィスこそ甦らせる価値があると説得してくる。

素材は、きらびやかなジャンプスーツの時代、ラスベガスのレジデンシー、そしてコンサートを一大スペクタクルに変えた絶え間ないツアーから来ている。映画が最大のスクリーンに掛けたいのは、まさにそのエルヴィスだ。汗とシルクとオーケストラを伴い、商業的な絶頂期にカメラへ収められた全開の表現者。年代記的な総覧ではなく一本の弧として編むことで、「EPiC」は一つのキャリアを一夜の出来事のように扱う。

Luhrmannは反対側から、すでにここを通っている。前作「エルヴィス」はマネージャーと金、そして緩やかな凋落を俳優の演技で描き、賞レースで幅広い観客をつかんだ。「EPiC」はその手法を反転させる。脚本を取り去り、画面を素材そのものに返す。かつてプレスリーを巡る虚構を築いた監督が、いま一歩退いてみせる。それは自信の表れにも、本物がなお模倣を上回るという静かな認めにも読める。

修復という語にもかかわらず、「EPiC」は復活ではなく編集の所産であり、そう見るべきだ。何年にもわたる別々の公演を継ぎ合わせた「連続したコンサート」は、継ぎ目がどれほど滑らかでも一つの構築物である。「彼自身の声で」という言い回しは、録音であると同時にキュレーションの選択を指す。本作はまた、Luhrmannのドラマが前面に据えた、より厳しい伝記——搾取、健康、孤立——から距離を置き、問い直しよりも賛辞を選ぶ。そしてその効果は最大のスクリーン向けに設計されている。畏怖の多くは規模に宿り、ノートパソコンはそれを返してはくれない。

公開はその規模を軸に組まれた。「EPiC」はIMAXを先行させる形で世界の多くの劇場に掛かった。米国ではNEONが、他地域では各地の配給会社が担い、その後に通常スクリーンへ拡大し、先行した市場ではデジタルへと移っていった。各地の封切りを同時公開ではなく、それぞれの出来事として扱う戦略だ。

日本では「EPiC / エピック エルヴィス・プレスリー・イン・コンサート」が5月22日に劇場公開された。

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