映画

『シャイニング』は怖がらせない——それが、半世紀近く経っても人を離さない理由だ

スタンリー・キューブリック監督、1980年。オーバールック・ホテルの幾何学的恐怖は、いまだ解明されない。
Martha O'Hara
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スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』が始まる瞬間、カメラは高角度から山岳地帯を俯瞰する。一台の車が絶景の山道を抜けてオーバールックホテルへ向かう。その広大な自然が画面を満たす冒頭の一シーンだけで、この映画の性格は決まる。逃げ場のない孤立と狂気の物語が、圧倒的な自然の中で幕を開ける。

『シャイニング』は、ジャック・トランス(ジャック・ニコルソン)一家が冬の間ホテルの管理人として働くためにオーバールックホテルへ移り住むところから始まる。しかし、彼らが直面するのは単なる孤独ではない。ホテル自体が持つ何かによって、ジャックは徐々に狂気へと引き込まれていく。妻のウェンディ(シェリー・デュヴァル)は、夫の変化を前に恐怖と困惑の間で揺れ動き、息子のダニー(ダニー・ロイド)は「シャイニング」と呼ばれる超感覚的な能力によって、迫りくる破滅の予感を抱き続ける。三者が同じ空間に閉じ込められながら、それぞれまったく異なる恐怖を生きているという構造が、この映画の緊張感を支えている。怪物の話というより、ひとつの家族が内側から崩れていく過程の記録として、本作は観客の神経に触れ続ける。

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キューブリックの演出は一貫して圧倒的だ。ホテルの迷宮のような廊下、赤いカーペット、双子の少女——それらは観客の不安を言葉なしに積み上げていく。廊下を移動する追跡ショットは、ホテルという空間そのものが意志を持つかのような錯覚を生む。ダニーが三輪車でホテルの廊下を走るシーンは、不気味さと孤独感を同時に醸し出す。その静けさの中に潜む恐怖こそ、この映画の真髄だ。スペクタクルではなく、雰囲気の蓄積。それがキューブリックの選択だった。

しかし、物語の構成には賛否がある。キューブリック版は、原作者スティーヴン・キングの意図から意識的に逸脱しており、ホテルの意志や、ジャックの変貌のテンポについて異論も多い。また、物語の終盤におけるジャックとグレイディの対話が説明的すぎると感じた観客もいるだろう。それでも、キューブリックの逸脱こそがこの映画を固有の作品にしているという見方も根強い。

演技面では、ニコルソンが圧倒的な存在感を発揮する。「Here’s Johnny!」で知られる斧のシーンにおける狂気の表現は、数十年を経てもなお色褪せない。しかしそれ以上に恐ろしいのは、彼が少しずつ正気を失っていく過程の細部だ。目の焦点がずれ、言葉の端が刃を帯びていく。その緩慢な崩壊こそが観客を蝕む。ニコルソンは、怪物的な面と、どこか憐れみを誘う脆弱性を同一人物に共存させることに成功しており、それがこの演技を単なる怪演以上のものにしている。シェリー・デュヴァルもまた、恐怖と不安に満ちたウェンディ役を精確に演じており、追い詰められた人間の姿を一切の過剰なしに体現している。

音楽も映画の核心を形作る不可欠な要素だ。ウェンディ・カーロスとレイチェル・エルキンドの電子音響は、映画全体の緊張感を高め、現実と幻覚の境界線を溶かしていく。冒頭の「Main Title」が流れ始めた瞬間から、観客は日常の感覚を少しずつ失っていく。映像と音楽は別々に機能しているのではなく、不安をひとつの塊として観客の体に届ける。

また、ウェンディの信頼性を揺るがすような削除シーンが存在することも指摘されており、この映画の解釈はいまだ一義的には定まっていない。キューブリックは答えを与えない。ただ、問いを積み重ねる。それが『シャイニング』という映画の強さであり、同時にその難しさでもある。容易な結末を求める観客には、この映画は冷たく背を向けるだろう。だが、その冷たい拒絶そのものが、この作品を単なるホラーとは別の場所に置いている。

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写真: The Movie Database (TMDB)

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