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リディア・ポエットの法律、Netflixで最終章へ——勝訴しても法は変わらないという問い

Veronica Loop

イタリアの法廷ドラマ《リディア・ポエットの法律(La legge di Lidia Poët)》の最終シーズンがNetflixで配信された。この作品の中心に据えられているのは、1887年のイタリア法体系が意図的に答えを避けてきた問いだ。男性によって、男性のために、男性間の争いを裁くために作られた法廷において、女性の苦しみは法的に有効な証拠となりうるのか。リディア・ポエット(マティルダ・デ・アンジェリス)は弁護を引き受ける。論拠を積み上げる。あるいは、勝訴さえする。しかしそのいずれも、彼女が立つ法廷という空間の構造を変えることはない。

《リディア・ポエットの法律》が三シーズンをかけて向かってきたのは、まさにその地点だ。最終章は、結末らしく見えることを拒絶することで、その結末にふさわしい重みを獲得している。

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三つの制度的軌道

今シーズンは、三本の並行する物語の軸を精緻に組み合わせた構成をとる。リディアは親友グラツィア・フォンタナ(リリアーナ・ボットーネ)の弁護を担う。夫への暴力に耐えかねて殺害したとして起訴されたグラツィアが主張するのは、正当防衛だ。その検察側に立つのは、大審院に昇進したばかりのリディアの恋人フルノー(ジャンマルコ・サウリーノ)である。さらに、かつての恋人ヤコポ(エドゥアルド・スカルペッタ)がローマから戻り、注目の裁判を記者として取材する。一方、兄エンリコ(ピエル・ルイジ・パシーノ)は国会議員として、リディアに弁護士資格を回復させる法案を議会で推し進めている。裁判、恋愛、立法という三つの制度的過程が、実は一つの論拠を形成している。個人的なことは政治的なことの比喩ではない。1887年のトリノでは、それらは同じ一票なのだ。

法廷という幾何学

今シーズン最も鋭い形式的決断は、フルノーを法廷の反対側に配置したことだ。私生活をともにする男性が、最愛の友人を救うために法廷で打ち負かさなければならない相手になる。この作品はそれをメロドラマとして扱わない。構造的な誠実さとして扱う。登場人物たちが属する制度は、彼らがその内側で生きようとしている人生を受け入れるようには設計されていない、という認識だ。愛の三角関係は物語の装飾ではない。論拠が可視化されたものだ。

今シーズン最も精確な場面は、リディアとフルノーが法廷で向かい合い、その間にグラツィア・フォンタナが被告席に座っている瞬間だ。法がまだ適切な言語を持たない行為を理由に起訴された女性と、同じ床を共有する二人の人間。男性だけで構成された陪審。裁判の対象となっている苦しみが、法的に認められた類型には収まらない女性。カメラは何も語らない。語る必要がない。

建前と本音の間で

日本の高い有罪率が示すように、法制度とは往々にして、建前(たてまえ)として機能する公正さと、本音(ほんね)としての権力構造との間に埋めがたい乖離を抱える。《リディア・ポエットの法律》が描く1887年のイタリアは、その乖離が制度の外に立つ人間にとっていかに根深いかを可視化する。イタリアの質の高いテレビドラマの系譜において、この作品は独自の位置を占める。《モンタルバーノ警部(Il Commissario Montalbano)》の手続き的リズムと、《わが友、マキアヴェッリ》ではなく《素晴らしき友よ(L’amica geniale)》の女性内面の縦断的な探求を継承しながら、両作品が回避したものに正面から向き合う。慰めの拒絶だ。《素晴らしき友よ》が曖昧さのうちに終わるとすれば、《リディア・ポエット》は構造的な明晰さのうちに終わる。システムは変わらなかった。変わったのは、自分の声を聞こうとしない場所で論拠を保ち続けることにどれほどの時間と代価が必要かという、リディア自身の理解だ。

閉じられない問い

この最終シーズンが答えず、答えようとしない問いがある。制度の内側から論拠を持ち続ける行為は、最終的に制度そのものではなく、論拠を持ち続ける者を変えてしまうのではないか。リディアは裁判に勝つ。判例を積み上げる。法律が排除しているものを直視させる。そのすべてを、最善の論拠を展開する瞬間においてさえ、そこに立つ資格を認められていない制度の中で成し遂げる。それが進歩の定義なのか、その最も精緻な障壁なのかは、この作品が完全に開いたまま残す問いだ。1880年代の、そしてその後のいかなる時代の誠実な記録も、おそらくそうあるべきであるように。

《リディア・ポエットの法律》シーズン3(最終シーズン)、Netflixにて配信中。全6話。出演:マティルダ・デ・アンジェリス、ジャンマルコ・サウリーノ、エドゥアルド・スカルペッタ。演出:レティツィア・ラマルティレ、ピッポ・メッツァペーザ、ヤコポ・ボンヴィチーニ。

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