映画

『エクソシスト』はアメリカン・ホラーの頂点であり続ける——その地位に異論の余地はない

ウィリアム・フリードキン監督、1973年。恐怖と信仰への問いを今なお解かないまま、観る者の皮膚の下に棲みつく。
Martha O'Hara
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「キャプテン・ハウディ」という悪魔の囁きから始まる。リンダ・ブレア演じるリーガンの声が低く変わり、ベッドの金具がねじれる音が部屋に響く。ウィリアム・フリードキン監督の『エクソシスト』が問いかけるのは信仰の崩壊だ。疑念に取り憑かれた神父が悪魔と対峙するとき、スクリーンに映し出されるのは超自然的な惨劇だけではなく、人間の意志がいかに脆く、いかに頑強でありうるかという問いである。

この映画の核心的な強みは、その技術的完成度にある。ドキュメンタリー的なリアルさと超自然的な恐怖の融合が見事で、その均衡は今日でも容易には崩れない。メリン神父(マックス・フォン・シドー)が北イラクの古代遺跡で翼を持つ存在の石のタリスマンに出会うオープニング・シーンは、古代の邪悪が現代に静かに侵入する前触れとして機能する。続くワシントンD.C.の平穏な日常との対比が鋭く、見る者の不安を静かに積み上げていく。リーガンの悪魔払いの場面では、フリードキンの巧妙なカメラワークとサウンドデザインが相まって、観客を席から引き剥がすことを許さない。

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演技面では、エレン・バースティンがクリス・マクニール役で見せる母親としての絶望と恐怖が圧巻だ。娘の異変に医学的な説明を求め、ことごとく空振りに終わるくだりでは、バースティンの表情だけが映画の現実性を担保している。当初ワーナー・ブラザーズの幹部が難色を示したほど無名だったリンダ・ブレアは、悪魔に取り憑かれた少女の肉体的・心理的変化を生々しいまでの迫力で体現し、その懸念を一蹴した。ジェイソン・ミラー演じるカラス神父もまた、信仰と疑いのあいだで引き裂かれる複雑な人物像を説得力をもって演じ抜いている。

製作過程には多くのトラブルがあった。キャストやスタッフの怪我、事故、さらには死亡事件まで発生し、撮影期間は予定の倍、製作費は当初予算の約三倍に膨らんだ。「映画が呪われている」という噂はこうした経緯から生まれた。だが、現場の過酷さが完成した映像に刻み込まれていることは疑いようがない。バースティンの疲弊した表情も、ミラーの虚ろな目も、演技と現実の境界がどこにあるかわからない。

1973年12月26日の公開後、冷え込む冬の中で観客が劇場の外に長蛇の列をなした。脳血管造影のシーンで失神する観客が出たとも伝えられ、いくつかの都市では上映禁止の動きもあった。MPAAがX指定を避けてR指定を付与したことへの批判も根強く、スタジオの商業的利益がレーティング判断に影響したとの見方が広まった。公開当初の批評は賛否が混じり合ったが、その論争そのものが、本作が触れた文化的・道徳的な神経の深さを示している。

カラス神父は信仰の瀬戸際に立つ男だ。彼がリーガンの部屋に足を踏み入れる場面は、悪魔払いの準備としてではなく、自分自身の懐疑と向き合う最後の機会として映る。フリードキンはこの内的な亀裂を解消することなく、ただ丁寧に掘り下げる。悪魔払いの儀式は信仰を持たない観客には異質かもしれないが、この映画が描くのは儀式の効果ではなく、儀式に頼らざるを得ない人間の限界である。

本作はホラー映画として初めてアカデミー賞の最優秀作品賞にノミネートされ、全10部門に候補入りした。ブラッティが最優秀脚色賞を、音響スタッフが最優秀音響賞を受賞したことは、ジャンル映画が滅多に得られない評価だった。2010年にはアメリカ国立フィルム登録簿に保存が決定された。それでも、これらの記録より重要なのは、半世紀後の今もリーガンの部屋の場面が観客の胃を締め付けるという事実だ。フリードキンが信頼したのは特殊効果だけではなく、人間の顔と声が持つ本源的な不気味さだった。その賭けは、今も勝ち続けている。

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写真: The Movie Database (TMDB)

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