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マイク・ラフルアー 自らプレーコールを握るカージナルスの新HC、初年度は2勝4敗

Penelope H. Fritz
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マイク・ラフルアー
マイク・ラフルアー
Photo: Thomson200 / CC0, via Wikimedia Commons
生年1987
Mount Pleasant, Michigan, United States
職業アメリカンフットボールのヘッドコーチ

Arizona Cardinalsがマイク・ラフルールを新監督として紹介した日、彼が語ったことで最も印象に残ったのは、チームの文化やタフさについてではなかった。一枚の紙についてだった。Jetsを離れて以来となる、自らオフェンスのプレーコールを担当することを明らかにし、その間の年月を「恋しかった」と一言で振り返った。監督としての初シーズンは、この言葉を出発点に始まる。彼はキャリアの大半を、NFLで最も模倣されてきた二つのオフェンス体系、カイル・シャナハンとショーン・マクベイのもとで過ごした。ニューヨークで唯一、自分の手にプレーシートがあった時期は、双方が合意して袂を分かつ形で終わった。Arizonaは、二度目の挑戦なら違う結果になると見込み、5年契約を提示した。

ラフルール家にとって、フットボールと本人を切り離して考えるのは難しい。彼はミシガン州マウントプレザントで育ち、現在Green Bay Packersのヘッドコーチを務めるマット・ラフルールの弟にあたる。Mount Pleasant High Schoolでは先発クォーターバックを務め、その後、シカゴ郊外のElmhurst Collegeに進学。3シーズンにわたってクォーターバックとしてプレーしたのち、最終学年にはセーフティに転向し、守備で全10試合に先発した。チーム主将を務め、競技レターを3度獲得して大学を卒業した。

コーチとしてのキャリアは、現場の最下層から始まった。1987年3月3日生まれのラフルールは、22歳だった2009年にElmhurstに残り、オフェンスアシスタントに就任。その後、インディアナ州のSaint Joseph’s Collegeで3シーズンを過ごし、最初はクォーターバックを指導し、次いでオフェンス全体を率いた。2013年にはDavidsonでオフェンスコーディネーターに就任する。転機が訪れたのは2014年。Cleveland Brownsが、コーディネーターのカイル・シャナハンのもとでオフェンスインターンとして採用した。ラフルールはシャナハンに同行してAtlantaへ移り、2015、2016年シーズンはオフェンスアシスタントを務めた。さらに2017年、シャナハンが49ersのヘッドコーチに就任するとSan Franciscoへ移り、パスゲームコーディネーターを担当。うち2シーズンはワイドレシーバーコーチも兼任した。49ersは2019年シーズン終了後のSuper Bowlに進出し、チームは試合前にラフルールとの契約を延長した。

オフェンスを自分のものとして率いたのは、ニューヨークが初めてだった。49ersのディフェンスコーディネーターだったロバート・サレが2021年にJetsのヘッドコーチに就任すると、ラフルールをオフェンスコーディネーター兼プレーコーラーとして招いた。新人クォーターバックのザック・ウィルソンを軸にした初年度は、4勝13敗で終わった。2年目は7勝4敗と好スタートを切ったが、その後は失速。6連敗を喫し、そのうち最後の3試合はタッチダウンなし。7勝10敗に終わり、プレーオフ進出を逃すシーズンは12年連続となった。これはリーグ最長記録だった。2023年1月11日、Jetsとラフルールは双方合意のうえで袂を分かった。

その16日後、彼はロサンゼルスでマクベイのオフェンスコーディネーターに就任する。ただし、現在の彼の評価を左右する条件が一つあった。プレーコールを担当するのはマクベイだった。Cardinalsによると、ラフルールが在任した3シーズン、Ramsはパス獲得ヤード、ファーストダウン、タッチダウン数でNFL5位、1試合あたりの獲得ヤードと得点で6位だった。2025年のチームは12勝5敗。リーグで唯一、500得点を超えたチームとなり、Carolina、そして延長戦の末にChicagoでプレーオフの勝利を挙げた。NFCチャンピオンシップゲームではSeattleに31対27で敗れた。

この実績こそ、彼の評価を難しくしている。最も輝かしい数字は、他人が選んだプレー、他人が組み立てたシステムのなかで、マシュー・スタッフォードとプカ・ナクアが実行したものだ。ラフルール自身がNFLでプレーコールを担った唯一のオフェンスは、ニューヨークで3試合連続タッチダウンなしに終わったチームであり、若いクォーターバックは最後まで安定しなかった。Jetsのロースターもウィルソンも、ラフルールが選んだわけではないという見方は妥当だ。一方でArizonaが、マクベイ本人がヘッドセット越しに指示を出さなくてもその手腕が通用する証拠がまだないまま、マクベイの薫陶を受けた経歴に賭けたことも、考慮に入れなければならない。

Cardinalsは2026年2月1日、5年契約でラフルールを招聘した。3シーズンで15勝36敗、2025年を3勝14敗で終えたジョナサン・ギャノンの後任となる。オーナーのマイケル・ビッドウィルは、27日間に及んだ監督人事で面接した14人の候補者のなかから、ラフルールが明確な最有力候補に選ばれたと語った。就任会見でラフルールは、山火事の影響でプレーオフゲームがState Farm Stadiumに移り、RamsがArizonaで過ごした日々を振り返った。そして当時、妻にこう話したという。「いつかArizona Cardinalsのヘッドコーチになる。そうなる気がしたんだ」。さらにビッドウィルに向き直り、冗談めかしたような一言を添えた。「あなたの判断が正しかったとはまだ言いません。正しかったことを願っています」

その後の再建は迅速で、手加減もなかった。Cardinalsは7シーズンを過ごしたカイラー・マレーを3月に放出し、改めて結んだ1年契約のもと、オフェンスをジャコビー・ブリセットに託した。Notre Dameのランニングバック、ジェレマイア・ラブを全体3位で指名。そして10月、新体制のオフェンスでマービン・ハリソン・ジュニアが85ヤード、5回のキャッチにとどまり、Detroitにホームで敗れた試合では出場登録外となった後、Houston Texansへトレードした。2024年ドラフト全体4位指名のハリソンと引き換えに、2027年の2巡目、7巡目指名権を獲得し、6巡目指名権も添えて譲渡した。ゼネラルマネジャーのモンティ・オッセンフォートは、チームにとって最善のことをしなければならなかったと説明した。就任1年目の監督にとって、優先事項を示す高くつく声明だった。

ここまでの結果には波がある。ラフルールがヘッドコーチとして初勝利を挙げたのは第1週。敵地でLos Angeles Chargersを26対14で破り、ESPNが開幕週最大の番狂わせと評した。その後は4連敗し、うち3試合で36点以上を許した。だが10月18日、再びSoFi Stadiumに乗り込み、マクベイ率いるRamsを18対16で下した。タッチダウンはなかった。チャド・ライランドがフィールドゴールを6本決め、最後は試合終了と同時に43ヤードのキックを成功させた。Arizonaはレッドゾーンに5度進みながら、エンドゾーンには届かなかった。「残り51秒になった時、心の奥では勝てると思っていました」と試合後に語ったラフルールは、レッドゾーンでの攻撃を振り返り、検証すべき点として挙げた。

ラフルールは2010年7月に妻のローレンと結婚し、2人の子どもがいる。Arizonaが彼を紹介した日、会場には両親と兄の家族も同席していた。

Cardinalsは2勝4敗で、勝利はいずれもSoFiで挙げたものだ。10月25日にはDenver BroncosがState Farm Stadiumを訪れ、シーズン後半にはマクベイ率いるRamsもArizonaにやって来る。New York Jetsとの対戦も控えている。「毎年、白紙の状態から始まる」とラフルールは2月に語った。今回違うのは、その紙に書き込む鉛筆が彼の手にあることだ。

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