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宮崎英高、社長になっても監督をやめない『ELDEN RING』の生みの親

Penelope H. Fritz
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宮崎英高
宮崎英高
Photo: Zion Grassl / CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons
生年1974年9月19日
Shizuoka, Japan
職業ゲームディレクター、フロム・ソフトウェア代表取締役社長
受賞Time 100

宮崎英高のゲームについて、誰もがまず口にするのは「難しい」ということだ。だが彼は、キャリアの大半を通じて、静かに異を唱えてきた。彼にとって難しさは手段であって、目的ではない。歯が立たないように見えたものを打ち倒したときの感覚を得るための代償であり、別の武器や別の道を試すきっかけなのだ。彼が率いるスタジオ、FromSoftwareは、この考えをひとつのジャンルへと発展させた。今ではほかの開発者たちが「ソウルライク」と呼ぶジャンルだ。模倣作の多くは厳しい罰則だけを取り入れ、辛抱強さを見落としてきた。

もうひとつの矛盾は、比較的新しい。宮崎はFromSoftwareの代表取締役社長であり、今も同社のゲームを自らディレクションしている。次回作のThe Duskbloodsは、ひとりで荒廃した王国を旅するゲームで知られるデザイナーが手がける、任天堂の新型ゲーム機向けの対戦型オンラインゲームだ。そして、当初予定されていた発売年を逃したばかりでもある。スタジオの親会社はその上で、すでに売れている作品をもっと増やすよう求めるアクティビスト投資家への対応に、何カ月も追われている。

宮崎は1974年9月19日、静岡県に生まれた。子どもの頃、自分の本はほとんど持っておらず、地元の図書館で借りていた。その中には、英語を完全には読めないまま手に取ったファンタジー作品もあり、言葉から得られない部分を挿絵で補っていた。断片から世界を組み立てるこの習慣は、デザイナーとしての彼に直結している。両親は彼が大学に進むまで家にテレビゲームを置かなかったため、彼が最初に触れたゲームは紙の上にあった。スティーブ・ジャクソンのゲームブックSorcery!、ダンジョンズ&ドラゴンズ、そしてほかのテーブルトークゲームだ。

20代の彼に、ゲームスタジオへ進む兆しは何ひとつなかった。慶應義塾大学で社会科学を学んで卒業し、米国のソフトウェア企業Oracleでアカウントマネージャーとして働き始めた。そんな折、友人に上田文人のICOを勧められ、ゲームを作ろうと決意する。29歳で業界経験もなかった彼を採用しようとする会社は、ほとんどなかった。数少ない一社がFromSoftwareだった。2004年、開発途中のアーマード・コア ラストレイヴンにプランナーとして加わり、その後アーマード・コア4とアーマード・コア フォーアンサーのディレクターを務めた。

彼の転機は、会社が見切りをつけていた企画から訪れた。宮崎はファンタジーRPGの引き継ぎを申し出て、それがDemon’s Soulsとなった。誰も期待していないゲームなら、誰も口を出してこないと考えたのだ。2009年の東京ゲームショウでは厳しい評価を受け、日本での売り上げも期待を下回ったが、その後、海外でプレイヤーとパブリッシャーを獲得した。精神的な後継作として2011年に発売されたDARK SOULSは、この試みをシリーズへと発展させた。2014年5月、宮崎はFromSoftwareの社長に就任した。日本の企業文化では、異業種から転じて10年にも満たない人物がここまで昇進することは、ほとんどない。

2015年にPlayStation 4向けとしてSonyと共同開発したBloodborneは、ゲームの基本形をゴシック様式の街へ移し、その底にラヴクラフト風の恐怖を忍ばせた。2016年にはDARK SOULS IIIが続いた。SEKIRO: SHADOWS DIE TWICEではキャラクターのカスタマイズをなくし、一本の刀とその間合いにすべてを託した。2019年にはThe Game AwardsでGame of the Yearを受賞している。ジョージ・R・R・マーティンにマップの下地となる神話の執筆を依頼したELDEN RINGは、デザインをオープンワールドへと広げ、2022年に同じ賞を受賞。販売本数は2,500万本を超え、2024年にはShadow of the Erdtreeがその世界を拡張した。

これらのゲームを結びつけているのは、説明を拒む姿勢だ。プロジェクトを率いるとき、宮崎は物語の大半とアイテムのテキストを書き、キャラクター、モンスター、レベルについて最終判断を下す。物語はアイテムの説明文や建築物の中に現れる。オンラインシステムの出発点にも、ある記憶があった。雪道で立ち往生した車を、見知らぬ人たちが坂の上まで押していた光景だ。最後の車が無事にたどり着いたのか、彼は知らないままだった。彼のゲームに登場するメッセージや召喚は、そうした匿名の助け合いを再現しようとしている。

よくある語り口は、彼を二重に単純化する。ファンの間では作品が難しさだけに還元され、難易度設定を設けずに発売されるため、それが信念なのか障壁なのかという議論が新作のたびに繰り返される。とりわけSEKIROのときは、議論が大きくなった。一方、批評家側の語りでは、宮崎はゲームというメディアを代表する偉大な作家として称賛される。それは彼を持ち上げる一方で、スタジオの存在を見えにくくする。近年の作品からは、彼がディレクターを務めなくてもスタジオが機能していることがわかる。宮崎が開発を始め、山村優に引き継いだアーマード・コアVI ファイアーズオブルビコン、そして石崎淳也がディレクションしたELDEN RING NIGHTREIGNがその例だ。多くを語らない彼の姿勢には代償もある。彼のゲームを理解するうえで、攻略Wikiや動画エッセイが欠かせないものになった。

The Duskbloodsは、そうした緊張関係が交わる場所にある。2025年4月のNintendo Switch 2 Directで発表されたSwitch 2専用タイトルで、Bloodswornとなった最大8人のプレイヤーがオンラインで互いに対戦する。宮崎は、このゲームがFromSoftwareのマルチプレイ重視への転換を意味するわけではないと語っている。2026年8月、Kadokawaは投資家に対し、同作をその年に世界発売すると伝えた。同月に実施された一般向けネットワークテストはサーバーの問題で始まり、多くのプレイヤーがログインできなかった。10月29日、FromSoftwareは開発が「最終調整段階」にあると発表し、「ゲームルールとバランスの最終調整」を行うため、発売時期を2027年に変更した。

企業からの圧力が頂点に達したのは、Kadokawaの定時株主総会を控えた2026年6月だった。大株主のひとつであるOasis Managementは、実績のあるヒット作の続編を増やすよう求めていた。宮崎は日本のメディア「電ファミニコゲーマー」の取材に対し、こう答えた。「過度な干渉を受けることなく、自分たちが作りたいゲームを作ることができている」。そして、その環境を保つことは「最も重要だ」と述べた。さらにファンに「本当に価値のあるゲーム」を届けると約束し、その中には「まだ発表されていない」タイトルも含まれると語った。6月24日の株主総会では、株主がOasisによるKadokawaの社長、夏野剛の解任提案を否決した。

宮崎が主に評価されてきたのは、ゲーム業界の内側からだ。2018年にはGolden Joystick Awardsで生涯功労賞を受賞。授賞式では、子どもの頃に読んでいたゲームブックの作家、イアン・リビングストンとスティーブ・ジャクソンから賞を贈られた。2022年にはJapan Game Awardsで経済産業大臣賞を受賞し、2023年にはTime誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた。ゲーム開発者としては宮本茂に続く2人目の選出だった。家族については公に語らず、2019年に息子、2024年に娘について触れた程度だ。

彼の世界は、本人がカメラの後ろに立つことなく、まもなく映画館にも広がる。A24は、アレックス・ガーランド監督による実写映画版ELDEN RINGの公開日を2028年3月3日と発表した。宮崎自身の作品にとって、より重要な日付はThe Duskbloodsが発売される2027年だ。対戦相手がボスではなく別の人間になっても、自らのアイデアが通用するかを試す作品となる。その先には、まだ発表していないと彼が語るゲームが待っている。

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